はせさんという人間について

ブログを更新し始めてからおよそ2週間が経とうとしている。

にも関わらず僕(@hasesan00)は、僕自身についてやすなおらいふというブログについて一体何を目指しているのか、何故このブログを開設したのかを全く書いていなかった。

そこで今回は、今(2019年4月12日)の僕自身やこのブログについてありのまま綴っていこうと思う。

僕はありのままの僕を曝け出すのが苦手だ。

昔から、

ありのままで生きたい

と思いつつもつい皆の良い人を演じてしまう癖があった。

だから今こうして自分のことを書くのも正直難しく感じる。

良い人を演じるが故に、他人から嫌なことを言われても笑顔でいたり、自分のせいだと自分自身を追い詰めてた。悲しい出来事や辛い出来事に直面しても、誰かに助けを求める感情を押さえ込んでこれは自分の責任だ、自分が悪いんだと思い込むようになっていた。

そして気づけば自分のことがよく分からない人間が完成していた。

だから僕はありのままの僕を曝け出すのが苦手だ。

でも、今回は頑張って自分の歩んできた人生を簡単に綴っていこうと思う。

基本プロフィール

名前: はせさん(本名: ハセガワ ナオト)

好きな食べ物: 海老フライ、海老の寿司、海老チリ、海老チャーハン

→ 僕が海老を好きな理由

趣味: 旅、弾き語り、写真、作詞作曲、カラオケ、寝る

家族構成: 父、母、姉、兄、僕

→ ネグレストの父親と毒母に育てられて学んだ自分の人生は自己責任であるということ

長所: ポジティブ思考、物事を客観的に考える、自分の身に降りかかるポジティブなことやネガティブなことを学びと捉えられる

今まで自己肯定感が低くネガティブ思考だった僕がポジティブ思考に変わった理由

短所: 飽きっぽい、1 対 1の会話は得意だけど1 対 複数人の会話は苦手

経歴: 理系大学を卒業後、設計開発の仕事に就くも、自分が本当に情熱を捧げられるものを見つけたいと思い退職。

新卒で入社した会社を1年足らずで退職しました

ブログを始めた理由: 発信活動をしていれば自分が何に興味を抱いていてどんなことに情熱を注いでいけるかを知ることができると思ったから。

その日その日のノリで記事を書いていれば当然、記事の内容に偏りが現れると思うので、その偏りから自分が何に興味を持っていてどんなことに情熱を注いでいけそうかを可視化できると考えてます。

 

近況報告

現在は、自分がやりたかったことで自己投資に繋がりそうなことに片っ端から手を出して点と点が繋がるきっかけを探してます。

今んとこ実践しようと考えてる自己投資の事例としてその目的と共に綴っておきます。

プログラミングの勉強

→ なんかアイデア次第で誰かの悩みを解決するサービスを作れるんじゃないかと思ったから

 

・ ブログやYoutubeでの発信活動

→ 自分探しのため

 

・ ヒッチハイクで日本一周

→ コミュ力とか自信を身につけたいから

 

・ 何らかの手段で世界一周

→ やりたいことではあるけど、行く目的が観光になってしまい、自己投資に繋がらないんだよね・・・

 

・ セブ島留学

→ 英語力を身につけたいから

 

ブログの更新

今んところ心の悩みを解決するための思考法や生き方の記事とエンジニア系の記事が多いです。これは、そういった本を読み漁ったり経験から培ったからだと考えてます。随時更新していきます。(2019/04/12)

まぁ、ざっくりなプロフィールはこんな感じ。

ここから先は幼少期から現在までの経歴をもうちょい詳細に綴っていきたいと思う。

 

 

幼少期

幼少期の頃のことはよく覚えていない。だから脳裏に微かに浮かんだ2つの出来事について簡潔に並べていこうと思う。

1つ目は、小学4年生の頃に、身長160 cm、体重69 kgという小学生にしてはかなり肥満体重だったということだ。でもそんな自分が悔しくて5年生になる頃には体重を15 kg減らしたという伝説がある。

2つ目は、小学6年生の頃に、家庭の貧困と機能不全が進行したことだ。具体的には、ネグレストの父親の仕事が無くなってしまい、母親は毒母化した。母親は最近は毒が引いてきているがネグレストの父親は生まれた時から変わっていない。

そんなことがあったもんだから常に自分の人生は自分の責任、どうせ誰も助けてくれないからという思考をする癖がついてしまっている。それと因果関係があるのかは分からんけど、自分の力だけで生きていきたいという思いが人一倍強かったり何でも独学でやってしまったりする。

だから、他人に助けてもらったり自分のことを曝け出すのが非常に苦手だけど、自分なりにどうやったらそういうことを克服できるのかを本やネットでインプットしながら勉強してます!(^ω^)

中学時代

入部した部活を半年で辞めた

小学校から中学校に入学すると、僕は異性からモテたい!隠キャを卒業したい!という理由でバスケットボール部に入部する。そして部活で馴染めず、練習も過酷で辛いという理由で半年も経たない内に部活を辞めた。

でも、中学は絶対部活に入らないと駄目みたいな感じだったので仕方なく電子工作部という名の帰宅部に入部する。

その後、ゲーセンの太鼓の達人にどハマりし、僕は、お小遣いで太鼓の達人をとことん極めた。

更に、アニメやオンラインゲームにもどハマりした。具体的にいうと、アニメは、灼眼のシャナとかゼロの使い魔とか(当時、声優の釘宮理恵さんの声に中毒になっているといういわゆる釘宮病でした)が好きオンラインゲームはメイプルストーリーをよくやってた。

そんな感じで、まぁ学校へは行くけど残りの活動はゲーセンかアニメかオンラインゲームという準ひきこもりのような生活をしていたわけです。

 

団体競技が苦手でクラスの人間からいじめられる

おまけに体育がとても苦手で特に団体競技とかすこぶる苦手なんです。なんかこう脳が混乱しちゃうというか・・・そんなこんなで体育の授業や学校行事で足を引っ張りまくった僕は、オタク気質だったこともありクラスでいじめられるようになります。

そんな時、自分の唯一の心の支えだったものは音楽。特にロックが好きで当時は凛として時雨とかマキシマムザホルモンとかエルレガーデンをよく聞いてた。

だから、なんか漠然と自分も将来音楽で誰かの心を救いたいなとか夢を思い描いてた時期があった。

学校内のありとあらゆる行事が嫌いだった僕が思う学校教育の異常さ

 

自己肯定感だだ下がりの高校受験

そんな感じでなんとかネガティブなものを我慢しながら差し掛かる高校受験。

僕は行きたい高校はあったけど、三者面談の時に母親が、「都立が落ちたら私立に行かなきゃならないわけですよね。私立はお金が掛かるし、志望校を受けてもこの子じゃ受からないだろうからうちは指定校推薦をとります。」なんて言ったため、受験はせずに高校へ進学することになる。

この時のことを思い返してもやはり自分は自分を押し込んでいて、自己肯定感がめちゃくちゃ下がってたなーと思う。これ言われた時、自分は駄目な人間だから諦めないとって思ったもん。

 

卒業写真の撮影時に先生から言われた一言がエグかった

そして決め手は卒業式。卒業写真の個人撮影の時に、僕の写真を撮り終えた先生が最後に残した一言は「笑顔が足りない。」

まぁ、とにかく中学にはあんまり良い思い出はないです。

卒アル撮影の時に笑顔が足りないと捨て台詞を言われた僕が人並みに笑えるようになった理由

高校時代

体重の減量と軽音楽部への入部

さすがにこんな駄目な自分を変えたいと思った僕は、高校デビューを果たすために、中学時代には75 kgあった体重を入学時には65 kgまで減らした。そして軽音楽部に入部した。

軽音楽部に入部した理由はもともと太鼓の達人をやっていたことと、凛として時雨のピエール中野っていうドラマーが大好きだった影響でドラムという楽器に非常に興味を持っていたからだ。

けれども、集まりに行くともう既に自分以外の人達でバンドが組まれていた。

「ああ、これがコミュ力ってやつか・・・。」

と悟り僕はバンド活動を諦める。

 

エレキギターとの出会いとバンド勧誘

軽音楽部でバンドを組めなかった僕だが、趣味で何か楽器を始めたいなと思い、家でできる楽器が何か無いかと探したところエレキギターだったらできそうだなと思い早速購入。

その結果、休みの日は10時間くらい弾き続けるほど、エレキギターにどハマりした。1年後には、カノンロックという曲を弾きこなせるくらいにはなっていた。

学生の時にエレキギターを一日10時間弾いて練習してた僕が伝えたいこと

高校2年生になって、久しぶりに軽音楽部の集まりに顔を出してみることにした。教室内にはたまたまアンプとエレキギターが置いてあった。

今まで家に篭りきりでチマチマ弾いてたもんだから、それを見た僕はここで演奏したいという思いに駆られた。

人生で一度でいいから教室内でデカイ音で演奏をしてみたかったのである。

そして、いざ即興で弾き始めると、部活内の方々からの注目を集め、気づけばバンドに誘われるようになっていた。

高校3年生になる頃には4つのバンドを掛け持ちし、自分がもともとやりたかったドラマーとしても活動することができた。

 

大学受験の諦めと自信の喪失

大学受験期になると、母親から「浪人は無理。お前を養っていくだけのお金は無い。大学は浪人せずなおかつ自分で借金していってね。あと、大学受験ってセンター試験代とか交通費とか色々お金がかかるよね?うちはそこまで出せる余裕がないから指定校推薦を取るかバイトで受験費用を自力で稼いでなんとか合格するかどっちかにしなよ。」という3条件を突きつけられるようになる。

学校行事のありとあらゆるお金の掛かるものに対して母親から文句を言われて気づいたお金の本当の価値

僕は、数学の先生になりたいという思いがあり、某理系大学最高峰の数学科を目指していたが、バイトをしながら受験勉強するとなると受からなそうなのと、浪人できないという理由で理系大工学部の指定校推薦を取り合格する。

理系大学へ進学するのに必要な科目を履修してなくて仕方なく独学して気づいた独学のノウハウ

工学部を選んだ理由は、数学科が指定校推薦枠の中になかったのと工学部であれば就職の際に潰しが効くと思ったから。

こんな風に諦めと自信喪失の連続で挑戦とか自分の主張とか一切せず、努力もせずに幼少期から大学まで歩んできてしまったんです。

そして、思えばこの頃から何をやっても自分は駄目なんだろうなと思い込んだり、自分が生きている意味とかを考え始めたりしてた。

 

大学時代

学科内の人間が優秀に見えた劣等生

大学へ入学すると、早速ある問題が浮上した。それは、高校時代に受験に必要な科目を履修しておらず独学していたことと、指定校推薦で合格したことが理由で、周りに比べて講義の理解が追いついてこないというものである。

学科内の人間が優秀に見えた劣等生が過去の自分に伝えたい進路選択の話

実験系の講義では、教授から「なんでこんなことも分からないの?」とよく言われた。

これのおかげで僕は、講義が嫌いになり、よく講義をサボってはヒトカラに出かけるようになる。

→  大学の講義がつまらなすぎてサボってはヒトカラに行ってたら音域が広がった話

あとは、まぁ、あんまし心から気の合う友達がいなかったからか(学科内で話すような友達はいた)よく一人で昼飯を食っていた。

友達はいたけどあえて一人飯してた僕が教える孤独のススメ

 

スーパーの品出しアルバイトを始める

大学に入学すると、スーパーの品出しアルバイトを4年間するようになる。このアルバイトを選んだ理由は、バイト先が家から徒歩1分のところにあったから。そして、この仕事をとおして学んだことが多々あるため今後記事にしていこうと思う。

スーパーの品出しアルバイトをしてたら想像以上にいろんなことを学んだ

 

軽音サークルへの所属と追放

大学へ入学後は、軽音サークルへ入学した。高校時代の延長線上でバンド活動をしたかったからである。しかし、大学1年ではバンドが組めず、また大学2年時には、後輩から喧嘩を売られたことによってサークルから追放されることになる。

軽音サークルに所属してた僕が後輩から喧嘩売られた挙句サークル内から追放された時に学んだこと

この出来事と過去の出来事が合わさってもう自分は何やっても駄目、生きている価値の無い人間ってとこまでとことん絶望していた。

 

単位の落としすぎによる留年危機

大学3年になって本格的に進路を考え始める頃、僕は留年するかしないかのギリギリのラインにいた。大学3年の前期には20単位落としてしまったが、後期には20単位+16単位の計36単位を取得するという奇跡の復活劇をすることとなる。

準ひきこもり状態になった僕が留年ギリギリのとこから復活を遂げた話

この復活の原動力になったのは奨学金という名の借金の存在だ。僕は、奨学金を600万借りていたが、もし留年してしまうとそこから返済が始まってしまうためなんとしてでも留年だけは回避しなければ!という思いだったのである。

奨学金を借りない方がいい理由

 

研究室配属と設計開発職への内定獲得

留年危機から復活劇を遂げたきっかけは自分が面白いと思える学問に出会えたことにある。この学問について追求したいと思った僕は、この学問について研究をしている研究室を第一志望にした。その結果、成績不振でかつ人気の研究室だったにも関わらず、奇跡的にその研究室に配属が決定する。

卒業研究を夢中になって取り組んだことで学んだこと

この研究室に配属されたことで、僕は開発職を目指そうと思うようになった。その結果、見事卒業研究の内容と開発製品が合致してる企業に設計開発エンジニアとして内定をもらうことができた。

元設計開発エンジニアの僕が設計開発と研究開発の違いを教えます

 

会社員時代

親元から離れたことによる安堵

僕は、社会人になったら親元を離れたいという想いで一杯だった。だから、実家が東京である僕は、あえて就職先を地方の田舎にして、社員寮に入寮することになる。

東京出身の僕があえて地方の企業に就職したことで実感した地方の魅力

 

モラハラ気質だった職場

就職後は、一ヶ月間新入社員研修という形で社会人の基礎を学んだのち、駐在エンジニアとして某大手メーカーに派遣されてそこで働くことになった。

客先常駐エンジニアとして働いてみて感じたこと

職場は基本放置状態でOJTと謳っていながら分からないことを質問すれば「なんでそんなことも分からないの?」だったり「あなたに教えることは何もありません。」だったりボロクソ言われた。だから僕は基本独学状態だった。幸い独学に慣れていたため、うまいこと切り抜けることができたが、正直働いている時は辛いと感じた。

→  心理カウンセラーと話すまで上司の言動がモラハラだったと気づかなかった話

そして、その状況がネグレストの父親や機能不全の家庭環境と重なってしまい、とても気持ち悪く感じたのである。

今までの人生を振り返っての絶望

いつもいつも仕事の筋道がよく分からない中、とりあえず独学して仕事をこなすけど駄目出しばかりされて良いことを何も言われないことがいつの間にかストレスになっていた。

そして、半年くらい経ったあたりから自分が職場に行く意味や今まで歩んできた自分の人生について振り返ることが多くなり、その度に自問するようになっていた。

 

退職を決意

そんなこんなで退職を決意した。退職届を出した時は、上層部の方々からの引き止めがあったが、それ以上にもっと自分らしい人生を歩んでいきたいと思いで一杯だった。

だから、僕はこの決断を後悔していないし、むしろ自分らしい人生の第一歩を踏めたんだと嬉しく思う。

新卒で入社した会社を一年足らずで退職しました

新卒で入社した会社を1年足らずで退職した時のエピソードを話そうと思う

 

今後について

自己投資の期間

長々と自分の経歴について書いてきたが、このような経験をとおして、今の自分に足りないものは勇気自信だと感じている。

僕が悩みごとの解決方法を発見するために実践したこと

何故、勇気挑戦というステータスをあげたいかというと、自分はいつか人の心の悩みを解決するようなサービスを運営したいと思っているから。

でも、自分のことよく分かってないのにまともなサービスを提供できるとは思えない。だから、自分に足りていない勇気自信という2つのステータスを回復したのち、事業を興すことを今は考えている。

この決断が良かったかどうかは引き続き更新する中で心境を取り上げていこうと思う。

僕は今の現状を幸せだと感じる。何故なら自分の足で一歩ずつ自分の人生を歩んでいるという実感があるから。そして今後もこうやって自分の力で自分を信じて一歩ずつ自分らしい人生を歩んでいきたいと思ってる。

長くなりましたが以上になります。

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今後もこのページはちょくちょく更新していこうと思ってます!

それではまた!