はせさんという人間について

このページでは、すなおらいふの著者ことはせさん (@hasesan00)の経歴や何故ブログ更新をするのか、その本音について語っていけたらなと思います。

僕はありのままの僕を曝け出すのが苦手だ。

昔から、

ありのままで生きたい

と思いつつもつい皆の良い人を演じてしまう癖があった。

だから今こうして自分のことを書くのも正直難しく感じる。

良い人を演じるが故に、他人から嫌なことを言われても笑顔でいたり、自分のせいだと自分自身を追い詰めてた。

悲しい出来事や辛い出来事に直面しても、誰かに助けを求める感情を押さえ込んでこれは自分の責任だ、自分が悪いんだと思い込むようになっていた。

そして気づけば自分のことがよく分からない人間が完成していた。

だから僕はありのままの僕を曝け出すのが苦手だ。

でも、今回は頑張って自分の歩んできた人生を簡単に綴っていこうと思う。

 

基本プロフィール

名前: はせさん(本名: ハセガワ ナオト)

好きな食べ物: 海老フライ、海老の寿司、海老チリ、海老チャーハン

趣味: 旅、弾き語り、写真、作詞作曲、カラオケ、寝る

家族構成: 父、母、姉、兄、僕

長所: ポジティブ思考、物事を客観的に考える、自分の身に降りかかるポジティブなことやネガティブなことを学びと捉えられる

短所: 飽きっぽい、1 対 1の会話は得意だけど1 対 複数人の会話は苦手

経歴: 理系大学を卒業後、設計開発の仕事に就くも、自分が本当に情熱を捧げられるものを見つけたいと思い退職。

参考記事 → 新卒で入社した会社を1年足らずで退職しました

 

 

ブログを始めた理由

元々の理由は、発信活動をしていれば自分が何に興味を抱いていてどんなことに情熱を注いでいけるかを知ることができると思ったからです。

しかし、最近の理由は

・ 自分の想いを誰かに伝えて自分の居場所を作りたい

・ ネガティブな出来事を価値ある情報として世の中に提供する仕組みを作りたい

といったその先の目標を叶えるために記事を書いています。

近況報告

現在は、自分がやりたかったことで自己投資に繋がりそうなことに片っ端から手を出して点と点が繋がるきっかけを探してます。

今んとこ実践しようと考えてる自己投資の事例としてその目的と共に綴っておきます。

プログラミングの勉強

→ ネガティブな出来事を価値ある情報として提供する仕組みを作りたい

 

・ ブログやYoutubeでの発信活動

→ 自分を表現する居場所を作ったり、ネガティブな出来事を価値ある情報に変換できる場所を作りたい

 

・ ヒッチハイクで日本一周

→ コミュ力とか自信を身につけたい

 

・ セブ島留学

→ 英語力を身につけたい

 

ブログの更新

(2019/04/12)

心の悩みを解決するための思考法や生き方の記事とエンジニア系の記事が多いです。

これは、そういった本を読み漁ったり経験から培ったからだと考えてます。

随時更新していきます。

 

(2019/05/04)

今後は自己表現をテーマにもっと読者の皆さんが面白いですとか、ありがたいと思えるようなコンテンツを提供していきたいと思ってます。

具体的には、節約、ミニマリズム、旅、生き方や考え方、就活/転職についての記事を増やしていきます。

 

経歴

ここからは僕の経歴についてなので、ブログの趣旨とはあまり関係がありません(笑)

なので、気になる方は読んでみてください。

幼少期

幼少期の頃のことはよく覚えていない。

だから脳裏に微かに浮かんだ2つの出来事について簡潔に並べていこうと思う。

1つ目は、小学4年生の頃に、身長160 cm、体重69 kgという小学生にしてはかなり肥満体重だったということだ。

でもそんな自分が悔しくて5年生になる頃には体重を15 kg減らしたという伝説がある。

2つ目は、小学6年生の頃に、家庭の貧困と機能不全が進行したことだ

具体的には、ネグレストの父親の仕事が無くなってしまい、母親は毒母化した。

母親は最近は毒が引いてきているがネグレストの父親は生まれた時から変わっていない。

そんなことがあったもんだから常に自分の人生は自分の責任、どうせ誰も助けてくれないからという思考をする癖がついてしまっている。

それと因果関係があるのかは分からんけど、自分の力だけで生きていきたいという思いが人一倍強かったり何でも独学でやってしまったりする。

だから、

他人に助けてもらったり自分のことを曝け出すのが非常に苦手

だけど、自分なりにどうやったらそういうことを克服できるのかを本やネットでインプットしながら勉強してます!(^ω^)

中学時代

入部した部活を半年で辞めた

小学校から中学校に入学すると、僕は

異性からモテたい!隠キャを卒業したい!

という理由でバスケットボール部に入部する。

そして、

部活で馴染めず、練習も過酷で辛いという理由で半年も経たない内に部活を辞めた。

でも、中学は絶対部活に入らないと駄目みたいな感じだったので仕方なく電子工作部という名の帰宅部に入部する。

その後、

ゲーセンの太鼓の達人にどハマりし、僕は、お小遣いで太鼓の達人をとことん極めた。

更に、アニメやオンラインゲームにもどハマりした。

具体的にいうと、アニメは、

灼眼のシャナとかゼロの使い魔とかが好き

オンラインゲームはメイプルストーリー

をよくやってた。

はせさん
はせさん
当時、声優の釘宮理恵さんの声に中毒になっているといういわゆる釘宮病でした

そんな感じで、

まぁ学校へは行くけど残りの活動はゲーセンかアニメかオンラインゲームという

準ひきこもりのような生活

をしていたわけです。

団体競技が苦手でクラスの人間からいじめられる

おまけに体育がとても苦手で特に団体競技とかすこぶる苦手なんです。

なんかこう脳が混乱しちゃうというか・・・。

そんなこんなで体育の授業や学校行事で足を引っ張りまくった僕は、

オタク気質だったこともありクラスでいじめられる

ようになります。

そんな時、自分の唯一の心の支えだったものは音楽。

特にロックが好きで当時は凛として時雨とかマキシマムザホルモンとかエルレガーデンをよく聞いてた。

だから、なんか漠然と

自分も将来音楽で誰かの心を救いたいな

とか夢を思い描いてた時期があった。

自己肯定感だだ下がりの高校受験

そんな感じでなんとかネガティブなものを我慢しながら差し掛かる高校受験。

僕は行きたい高校はあったけど、三者面談の時に母親が、

「都立が落ちたら私立に行かなきゃならないわけですよね。

私立はお金が掛かるし、志望校を受けてもこの子じゃ受からないだろうからうちは指定校推薦をとります。」

なんて言ったため、受験はせずに高校へ進学することになる。

この時のことを思い返してもやはり自分は自分を押し込んでいて、自己肯定感がめちゃくちゃ下がってたなーと思う。

はせさん
はせさん
これ言われた時、自分は駄目な人間だから諦めないとって思ったもん。

卒業写真の撮影時に先生から言われたエグい一言

そして決め手は卒業式。

卒業写真の個人撮影の時に、僕の写真を撮り終えた先生が最後に残した一言は

「笑顔が足りない。」

まぁ、とにかく中学にはあんまり良い思い出はないです。

はせさん
はせさん
でも、それが悔しくて笑顔の練習をしたんだっ!

そのおかげで今では良い笑顔とまで言われるようになりました!

高校時代

体重の減量と軽音楽部への入部

さすがにこんな駄目な自分を変えたいと思った僕は、高校デビューを果たすために、中学時代には75 kgあった体重を入学時には65 kgまで減らした。

そして軽音楽部に入部した。

軽音楽部に入部した理由は

・もともと太鼓の達人をやっていた

・凛として時雨のピエール中野っていうドラマーが大好きだった

影響でドラムという楽器に非常に興味を持っていたからだ。

けれども、集まりに行くともう既に自分以外の人達でバンドが組まれていた。

「ああ、これがコミュ力ってやつか・・・。」

と悟り僕はバンド活動を諦める。

 

エレキギターとの出会いとバンド勧誘

軽音楽部でバンドを組めなかった僕だが趣味で何か楽器を始めたいなと思い、家でできる楽器が何か無いかと探した。

その結果、エレキギターだったらできそうだなと思い早速購入。

休みの日は10時間くらい弾き続けるほど、エレキギターにどハマりした。

1年後には、カノンロックという曲を弾きこなせるくらいにはなっていた。

高校2年生になって、久しぶりに軽音楽部の集まりに顔を出してみることにした。

教室内にはたまたまアンプとエレキギターが置いてあった。

今まで家に篭りきりでチマチマ弾いてたもんだから、それを見た僕はここで演奏したいという思いに駆られた。

人生で一度でいいから教室内でデカイ音で演奏をしてみたかったのである。

そして、いざ即興で弾き始めると、部活内の方々からの注目を集め、気づけばバンドに誘われるようになっていた。

高校3年生になる頃には4つのバンドを掛け持ちし、自分がもともとやりたかったドラマーとしても活動することができた。

 

大学受験の諦めと自信の喪失

大学受験期になると、母親から

・ 浪人禁止

・大学の入学費用や受験費は自分のお金で賄う

と言う2条件を突きつけられるようになる。

僕は、数学の先生になりたいという思いがあり、某理系大学最高峰の数学科を目指していた。

しかしながら、バイトをしながら受験勉強するとなると受からなそうなのと、浪人できないという理由で理系大工学部の指定校推薦を取り合格する。

理系大学への進学に指定校推薦を勧めない理由

工学部を選んだ理由は、数学科が指定校推薦枠の中になかったのと工学部であれば就職の際に潰しが効くと思ったから。

こんな風に、

諦めと自信喪失の連続で挑戦とか自分の主張とか一切せず、努力もせずに幼少期から大学まで歩んできてしまった

んです。

そして、思えばこの頃から

何をやっても自分は駄目なんだろうなと思い込んだり、自分が生きている意味とか

を考え始めたりしてた。

 

大学時代

学科内の人間が優秀に見えた劣等生

大学へ入学すると、早速ある問題が浮上した。

それは、

・ 高校時代に受験に必要な科目を履修しておらず独学していたこと

・ 指定校推薦で合格したこと

が理由で、

周りに比べて講義の理解が追いついてこない

というものである。

実験系の講義では、教授から

「なんでこんなことも分からないの?」

とよく言われた。

これのおかげで僕は講義が嫌いになり、よく講義をサボってはヒトカラに出かけるようになる。

あとはまぁ、あんまし心から気の合う友達がいなかったからか(学科内で話すような友達はいた)よく一人で昼飯を食っていた。

学生時代ぼっち飯をしてた僕があえて孤独を勧める理由

 

スーパーの品出しアルバイトを始める

大学に入学すると、スーパーの品出しアルバイトを4年間するようになる。

このアルバイトを選んだ理由は、バイト先が家から徒歩1分のところにあったから。

参考記事 → 理系の大学生がアルバイトをするならスーパーの品出しがおすすめな6つの理由

軽音サークルへの所属と追放

大学へ入学後は、軽音サークルへ入学した。

高校時代の延長線上でバンド活動をしたかったからである。

しかし、大学1年ではバンドが組めず、また大学2年時には、後輩から喧嘩を売られたことによってサークルから追放されることになる。

関連記事 → 楽器初心者が軽音楽部や軽音サークルには入らない方がいい理由

この出来事と過去の出来事が合わさって

もう自分は何やっても駄目、生きている価値の無い人間

ってとこまでとことん絶望していた。

 

単位の落としすぎによる留年危機

大学3年になって本格的に進路を考え始める頃、僕は留年するかしないかのギリギリのラインにいた。

大学3年の前期には20単位落としてしまったが、後期には36単位を取得するという奇跡の復活劇をすることとなる。

この復活の原動力になったのは奨学金という名の借金の存在だ。

僕は、奨学金を600万借りていたが、

もし留年してしまうとそこから返済が始まってしまうためなんとしてでも留年だけは回避しなければ!

という思いがあったため頑張れた。

研究室配属と設計開発職への内定獲得

留年危機から復活劇を遂げたきっかけは自分が面白いと思える学問に出会えたことにある。

この学問について追求したいと思った僕は、この学問について研究をしている研究室を第一志望にした。

その結果、成績不振でかつ人気の研究室だったにも関わらず、奇跡的にその研究室に配属が決定する。

この研究室に配属されたことで、僕は開発職を目指そうと思うようになった。

その結果、見事卒業研究の内容と開発製品が合致してる企業に設計開発エンジニアとして内定をもらうことができた。

元設計開発エンジニアの僕が設計開発と研究開発の違いを教えます

会社員時代

喧騒と親元から離れたことによる安堵

僕は、社会人になったら満員電車や都会の喧騒を避けたいという想いと親元を離れたいという想いで一杯だった。

だから、実家が東京である僕は、あえて就職先を地方の田舎にして、社員寮に入寮することになる。

東京出身の僕があえて地方の企業に就職したことで実感した地方の魅力

 

モラハラ気質だった職場

就職後は、一ヶ月間新入社員研修という形で社会人の基礎を学んだのち、駐在エンジニアとして某大手メーカーに派遣されてそこで働くことになった。

客先常駐エンジニアとして働いてみて感じたこと

職場は基本放置状態でOJTと謳っていながら分からないことを質問すれば

「なんでそんなことも分からないの?」

だったり

「あなたに教えることは何もありません。」

だったりボロクソ言われた。

だから僕は基本独学状態だった。

幸い独学に慣れていたためうまいこと切り抜けることができたが、正直働いている時は辛いと感じた。

→  カウンセラーと話すまで職場で置かれてる状況が異常だと気づかなかった話

そして、その状況がネグレストの父親や機能不全の家庭環境と重なってしまい、とても気持ち悪く感じたのである。

今までの人生を振り返っての絶望

いつもいつも仕事の筋道がよく分からない中、とりあえず独学して仕事をこなすけど駄目出しばかりされた。

良いことを何も言われないことがいつの間にかストレスになっていた。

そして、半年くらい経ったあたりから自分が職場に行く意味や今まで歩んできた自分の人生について振り返ることが多くなり、その度に自問するようになっていた。

ただ、ここで心がけていたのは決して他人のせいにしないということだ。

何故なら他人のせいにしてしまうと自分の価値を下げてしまうからです。

 

退職を決意

そんなこんなで退職を決意した。

退職届を出した時は職場環境に関する理由は一切述べず、

・ 他にやりたいことができた

・ 職場環境が自分に合わない

という理由でとおした。

上層部の方々からの引き止めがあったが、それ以上にもっと自分らしい人生を歩んでいきたいと思いで一杯だった。

だから、僕はこの決断を後悔していないし、むしろ自分らしい人生の第一歩を踏めたんだと嬉しく思う。

参考記事 → 新卒で入社した会社を一年足らずで退職しました

参考記事 → 新卒で入社した会社を1年足らずで退職した時のエピソードを話そうと思う

 

今後について

自己投資の期間

長々と自分の経歴について書いてきたが、このような経験をとおして、今の自分に足りないものは勇気自信だと感じている。

僕が悩みごとの解決方法を発見するために実践したこと

何故、勇気挑戦というステータスをあげたいかというと、自分はいつか人の心の悩みを解決するようなサービスを運営したいと思っているから。

でも、自分のことよく分かってないのにまともなサービスを提供できるとは思えない

だから、自分に足りていない勇気自信という2つのステータスを回復したのち、事業を興すことを今は考えている。

この決断が良かったかどうかは引き続き更新する中で心境を取り上げていこうと思う。

僕は今の現状を幸せだと感じる。

何故なら自分の足で一歩ずつ自分の人生を歩んでいるという実感があるから。

そして今後もこうやって自分の力で自分を信じて一歩ずつ自分らしい人生を歩んでいきたいと思ってる。

長くなりましたが以上になります。

今後もこのページはちょくちょく更新していこうと思ってます!

それではまた!